彦根仏壇
11月27
9月24
今日は、伝統的工芸品である彦根仏壇が生まれた時代として有力な候補の1つである「元禄時代」のことを書こうと思います。
9月21日:彦根仏壇の歴史の中でも書いたとおり、工芸品としての彦根仏壇の特徴として「金箔の使用」は欠かせません。
近年は金地金相場が高騰しており、安売りメインの仏壇店ですら、金仏壇の価格が上がり続けています。
「金」は時代を問わず貴重にして高貴な材料であり、江戸時代においては通貨と金が直接的に結び付けられていたこともあって、金を材料とする金箔も、極めて厳しい規制のもとにありました。
彦根に城下町が完成した後、彦根仏壇のような金仏壇を買っていただけるお客が存在し、商いが成立するような環境は、相当な好景気でないと実現不可能であることはすぐに分かると思います。
金をふんだんに使った仏壇でも売れる、江戸時代以降最初の好景気がもたらしたものは、1688年〜1707年の「元禄文化」 として歴史の教科書が教えています。
この好景気は、幕府が金の含有量を下げた金貨を造り、その差益によって財政難を克服しようとした政策がアクセルの役割を果たしたとされています。
金の含有量を下げた金貨が大量に出回ると、国内に流通する通貨の量が従来より増えて価値が下がり、豪商・豪農は、それまで蓄えてきたお金の価値が目減りする前にこれを投資にまわすようになります。
こうして、モノへの支出もより付加価値の高い、つまり贅沢なものへ向けられるようになり、仏壇についてもそれまでより豪華な仕様のものが注文されやすい環境が生まれたのです。
彦根藩においてはこの好景気に先立ち、第4代藩主井伊直興によって松原、長曽根の港が整備され、琵琶湖での物流能力向上がはかられています。
中山道をはじめとする陸上交通は主にヒトの移動を活発にすることに貢献しましたが、仏壇産業にとっては琵琶湖と彦根の港による物流網の発展も非常に重要な要素と言えます。
9月21日:彦根仏壇の歴史の中でも書いたとおり、工芸品としての彦根仏壇の特徴として「金箔の使用」は欠かせません。
近年は金地金相場が高騰しており、安売りメインの仏壇店ですら、金仏壇の価格が上がり続けています。
「金」は時代を問わず貴重にして高貴な材料であり、江戸時代においては通貨と金が直接的に結び付けられていたこともあって、金を材料とする金箔も、極めて厳しい規制のもとにありました。
彦根に城下町が完成した後、彦根仏壇のような金仏壇を買っていただけるお客が存在し、商いが成立するような環境は、相当な好景気でないと実現不可能であることはすぐに分かると思います。
金をふんだんに使った仏壇でも売れる、江戸時代以降最初の好景気がもたらしたものは、1688年〜1707年の「元禄文化」 として歴史の教科書が教えています。
この好景気は、幕府が金の含有量を下げた金貨を造り、その差益によって財政難を克服しようとした政策がアクセルの役割を果たしたとされています。
金の含有量を下げた金貨が大量に出回ると、国内に流通する通貨の量が従来より増えて価値が下がり、豪商・豪農は、それまで蓄えてきたお金の価値が目減りする前にこれを投資にまわすようになります。
こうして、モノへの支出もより付加価値の高い、つまり贅沢なものへ向けられるようになり、仏壇についてもそれまでより豪華な仕様のものが注文されやすい環境が生まれたのです。
彦根藩においてはこの好景気に先立ち、第4代藩主井伊直興によって松原、長曽根の港が整備され、琵琶湖での物流能力向上がはかられています。
中山道をはじめとする陸上交通は主にヒトの移動を活発にすることに貢献しましたが、仏壇産業にとっては琵琶湖と彦根の港による物流網の発展も非常に重要な要素と言えます。
9月22
9月21日:彦根仏壇の歴史の続きとして、今日は江戸時代の政策によって生まれた「お寺と家の関係」について調べたことをちょこっと書こうかと思います。
彦根仏壇だけでなく、一般に仏壇は、家の中の「小さなお寺」のような存在です。
仏壇・仏具・仏事は宗派によって少しずつ異なり、1つの家には1つのお仏壇、そしてそのお仏壇を介してお付き合いする1箇所の「願い寺(菩提寺)」が対応しています。
1つのお寺には、そのお寺を願い寺とする数十軒〜数百軒の家があり、そのお寺の「檀家」と呼ばれます。
菩提寺は檀家の葬儀や追善供養を行い、これに対して檀家は法要のたびに寄付をしたり、必要に応じて檀家同士が協力して菩提寺の建物などの維持をはかります。
このような枠組みは「檀家制度」とか「寺請制度」などと呼ばれ、江戸時代初期の慶長17年(1612年)に天領で出た禁教令が翌年全国各地の藩に適用されるようになったことから始まり、寛永12年(1635年)のキリシタン厳禁を加えた武家諸法度改正があり、寛永4年(1664年)から諸藩に専任の役人を置いて宗門改を毎年実施することを義務付けるようになり、寛文11年(1671年)に宗門改帳が法的に整備されて完成に至ります。
当初はキリスト教の排斥を目的とした政策でした。
特に、寛永14年(1637年)に勃発した島原の乱は、幕府がキリスト教排斥を更に徹底させる決定的な要因となりました。
寛文11年の法整備によって、江戸時代以前から不定期に実施されていた住民台帳としての「人別帳」に宗旨の項目を加える形で「宗門改」は「人別帳」に吸収されましたが、この頃にはキリシタンの摘発は減り、宗教政策の要素は薄くなっていました。
菩提寺は葬儀をこなすほか、追善供養に七回忌、十三回忌、十七回忌、三十三回忌、五十回忌を次々と追加して檀家との結びつきを強め、「宗門人別改帳」の更新に必要な情報と資金を集める仕組みができました。
仏壇は、菩提寺と檀家とのつながりを証明し、必要な法要を滞りなく実施するための「器」として、各家に宗派に沿った型式のものを置くことが求められました。
菩提寺は檀家を訪れて法要を行う際には、自分の宗派に合った仏壇・仏具を用いているかどうかをチェックすることが定められていました。
諸藩で「宗門改」を行うよう命じられた寛文年間は今から350年ほど前の時代です。
やがて仏壇の産地となる七曲りに含まれる町は彦根の城下町の中でも最後に町割りが行われた地域でしたが、それでも正保元年(1644年)には町割りが終わり、 寛文に入る頃には七曲りを含め、彦根の城下町とそこに住むことになった人々は新たな土地での生活にほぼ馴染んだものと思われます。
「彦根仏壇の歴史の長さ」に対して今出ている答えのうち、最も長いものがこの「350年」です。
ただ、どんな形・仕様の仏壇を檀家に置いてもらうのかは各宗派が決めることでしょうが、漆塗りに金箔押し、蒔絵や彫刻を施して・・・などの贅沢な仕様をいきなり設定すると、「どんな家にも1つずつ、菩提寺の宗派の仏壇を入れよ」というお上の命を遂行するのに足かせとなるのは明白。
どうやら、我々が知る「彦根仏壇」が誕生したのは「各家に仏壇を置くように」という指令によって仏壇が置かれるようになった時代からはやや下ると考えるのが妥当のようです。
彦根仏壇だけでなく、一般に仏壇は、家の中の「小さなお寺」のような存在です。
仏壇・仏具・仏事は宗派によって少しずつ異なり、1つの家には1つのお仏壇、そしてそのお仏壇を介してお付き合いする1箇所の「願い寺(菩提寺)」が対応しています。
1つのお寺には、そのお寺を願い寺とする数十軒〜数百軒の家があり、そのお寺の「檀家」と呼ばれます。
菩提寺は檀家の葬儀や追善供養を行い、これに対して檀家は法要のたびに寄付をしたり、必要に応じて檀家同士が協力して菩提寺の建物などの維持をはかります。
このような枠組みは「檀家制度」とか「寺請制度」などと呼ばれ、江戸時代初期の慶長17年(1612年)に天領で出た禁教令が翌年全国各地の藩に適用されるようになったことから始まり、寛永12年(1635年)のキリシタン厳禁を加えた武家諸法度改正があり、寛永4年(1664年)から諸藩に専任の役人を置いて宗門改を毎年実施することを義務付けるようになり、寛文11年(1671年)に宗門改帳が法的に整備されて完成に至ります。
当初はキリスト教の排斥を目的とした政策でした。
特に、寛永14年(1637年)に勃発した島原の乱は、幕府がキリスト教排斥を更に徹底させる決定的な要因となりました。
寛文11年の法整備によって、江戸時代以前から不定期に実施されていた住民台帳としての「人別帳」に宗旨の項目を加える形で「宗門改」は「人別帳」に吸収されましたが、この頃にはキリシタンの摘発は減り、宗教政策の要素は薄くなっていました。
菩提寺は葬儀をこなすほか、追善供養に七回忌、十三回忌、十七回忌、三十三回忌、五十回忌を次々と追加して檀家との結びつきを強め、「宗門人別改帳」の更新に必要な情報と資金を集める仕組みができました。
仏壇は、菩提寺と檀家とのつながりを証明し、必要な法要を滞りなく実施するための「器」として、各家に宗派に沿った型式のものを置くことが求められました。
菩提寺は檀家を訪れて法要を行う際には、自分の宗派に合った仏壇・仏具を用いているかどうかをチェックすることが定められていました。
諸藩で「宗門改」を行うよう命じられた寛文年間は今から350年ほど前の時代です。
やがて仏壇の産地となる七曲りに含まれる町は彦根の城下町の中でも最後に町割りが行われた地域でしたが、それでも正保元年(1644年)には町割りが終わり、 寛文に入る頃には七曲りを含め、彦根の城下町とそこに住むことになった人々は新たな土地での生活にほぼ馴染んだものと思われます。
「彦根仏壇の歴史の長さ」に対して今出ている答えのうち、最も長いものがこの「350年」です。
ただ、どんな形・仕様の仏壇を檀家に置いてもらうのかは各宗派が決めることでしょうが、漆塗りに金箔押し、蒔絵や彫刻を施して・・・などの贅沢な仕様をいきなり設定すると、「どんな家にも1つずつ、菩提寺の宗派の仏壇を入れよ」というお上の命を遂行するのに足かせとなるのは明白。
どうやら、我々が知る「彦根仏壇」が誕生したのは「各家に仏壇を置くように」という指令によって仏壇が置かれるようになった時代からはやや下ると考えるのが妥当のようです。
9月21
彦根仏壇は昭和50年4月、業界としては初めて、国の伝統的工芸品に指定されています。
伝統的工芸品として認められたのは長い歴史があってこそですが、この歴史そのものについては実はよくわかっていない部分が多くあります。
その原因としてよく語られるのは、大火災や大水害により、多くの史料が失われてしまった・・・というものです。
今なお、由緒ある家柄の屋敷には、江戸時代にまで遡ることのできる彦根仏壇もあるはずですが、仏壇という「モノ」単体ではやはり、歴史という時系列の流れを把握することは難しいと思います。
彦根の城下町が近江商人の拠点の1つであったなら、その商圏内で、彦根仏壇の商いを捉えた帳簿なり記録なり がどこかに残っていても良さそうなのに・・・と、以前も感じたことがあります。
→2009年5月15日:企画展「地域の歴史と向き合う」〜滋賀大学経済学部附属史料館〜
実際には、200年〜300年前の商人や職人が残した記録を発掘することは非常に大変のようです。
「史料」という「物証」なしに歴史を考察して何かを語ったとしても、歴史に携わる立場の人から見ればそれは単なる「物語」なのかもしれません。
しかしながら個人的には、「物証」が足りないなら「状況証拠」を積み重ねて考察しようと頑張ってみたくなります。
工芸品としての彦根仏壇の歴史には次のような特徴があると思われます。
1.宗教用品である。
→各宗派で仏事を整備してきた歴史と、経済的背景との関わりが深い。
→庶民による先祖供養の歴史との関わりが深い。
2.複合芸術である。
→特定の技術(漆塗りなど)の歴史に加え、それらを結びつけるシステムの歴史が不可欠。
3.「金箔」を調達する必要がある。
→彦根藩の産業政策の歴史との関わりが深い。
これだけ様々な分野の歴史と相互に関わっているとなると、彦根仏壇の歴史を簡単な構図で書くことはかなり難しそうです。仮にあらゆる史料が現存していたとしても、「彦根仏壇のスタートは16XX年」、「彦根仏壇を初めて作った人は○○氏」とか特定することもおそらく不可能でしょう。
そうだとしても、彦根が仏壇の産地として確立していくまでの過程に影響を与えた背景や出来事を、少し調べてみたいと思います。
伝統的工芸品として認められたのは長い歴史があってこそですが、この歴史そのものについては実はよくわかっていない部分が多くあります。
その原因としてよく語られるのは、大火災や大水害により、多くの史料が失われてしまった・・・というものです。
今なお、由緒ある家柄の屋敷には、江戸時代にまで遡ることのできる彦根仏壇もあるはずですが、仏壇という「モノ」単体ではやはり、歴史という時系列の流れを把握することは難しいと思います。
彦根の城下町が近江商人の拠点の1つであったなら、その商圏内で、彦根仏壇の商いを捉えた帳簿なり記録なり がどこかに残っていても良さそうなのに・・・と、以前も感じたことがあります。
→2009年5月15日:企画展「地域の歴史と向き合う」〜滋賀大学経済学部附属史料館〜
実際には、200年〜300年前の商人や職人が残した記録を発掘することは非常に大変のようです。
「史料」という「物証」なしに歴史を考察して何かを語ったとしても、歴史に携わる立場の人から見ればそれは単なる「物語」なのかもしれません。
しかしながら個人的には、「物証」が足りないなら「状況証拠」を積み重ねて考察しようと頑張ってみたくなります。
工芸品としての彦根仏壇の歴史には次のような特徴があると思われます。
1.宗教用品である。
→各宗派で仏事を整備してきた歴史と、経済的背景との関わりが深い。
→庶民による先祖供養の歴史との関わりが深い。
2.複合芸術である。
→特定の技術(漆塗りなど)の歴史に加え、それらを結びつけるシステムの歴史が不可欠。
3.「金箔」を調達する必要がある。
→彦根藩の産業政策の歴史との関わりが深い。
これだけ様々な分野の歴史と相互に関わっているとなると、彦根仏壇の歴史を簡単な構図で書くことはかなり難しそうです。仮にあらゆる史料が現存していたとしても、「彦根仏壇のスタートは16XX年」、「彦根仏壇を初めて作った人は○○氏」とか特定することもおそらく不可能でしょう。
そうだとしても、彦根が仏壇の産地として確立していくまでの過程に影響を与えた背景や出来事を、少し調べてみたいと思います。
名刺代わりに。

只今絶賛勉強中。

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滋賀県彦根市、「彦根仏壇」の産地「七曲がり」を自転車で走る。
中山道「高宮宿」の北端から「高宮道」へ入り、七曲がりへ到る。
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